hitorigurashiのブログ

はじめてのひとりぐらし記録

父のこと

誰かのせいにしたり、後悔したり、

それは絶対にしないようにしようと思ってて。

一つしか選択できなかったから、

結果もう一つを選んでいたらどうなってるのか…

なんでわからないし。

でも普段溜めている分、

思ったことをここにはありのまま記しておこうと思う。

大好きな父。

間質性肺炎になって、もう何年も経つ。

当時はそんなにおおごとだと思わず、

病院に通って、お薬を飲んで…

と過ごしてきた。


3月4月?コロナワクチンと肺炎球菌ワクチンを打ち、

そこから毎日1キロくらいずつ体重が減り、

衰えてきた。


まだ私も一人暮らしをしていたので、

母にお任せで。

母はそんな父の様子を見て

(元々ワクチン反対派 薬反対派 だったのもあり)

薬断ちを勧める。

病院へ通うのも、ストップをかけるようになる。


そこから、9月まで。

私も、父のことはサポートする気ではいたけど、

方針を決めるのは父と母だと思い、

基本的にはノータッチ。

さらに、80歳の壁が流行った時期で、

それを読んでいたため(その本はとてもいい内容)

薬断ち 病院断ち も一つの方法だと

思って、父にその本の内容も簡単に伝えたりもしていた。


でも、日に日に体力がなくなり、

弱っていく。


私も、まだ父に甘えていたのだと思うから、

パパ、ちゃんと運動しなよと、

2階のベランダを往復したり

運動させたりしていた。

体力は自分で作るもの…という

健康的な思考から離れていなかったのだと思う。


7月の長野旅行。

今思うと、相当無理していったのだと思う。

でも家族4人でのんびり過ごして、

そこで話したりして。

父は我慢強いからきっと、

その時も弱音をはかず、

家族で過ごせるということを大事にしたかったのだと思う。

旅館も素晴らしくて、父にもバースデーケーキを出してもらって、

この旅行自体はパーフェクトだった。

でも、父に無理させたのは事実かなと思う。


9月まで母の言うように…と

続けてきたけど

(母は母で一生懸命。電気椅子を購入したり、

きのこのお薬を購入したり 母も色々試していた。)

でも、父は限界で、母を説得してほしいと

私に頼ってきた。

そこではじめて、私が入らないとうまくいかないと

気づいた。気づくのが遅かったかもしれない。

母は健康になっているという見方をずっとしていたけど、

妹も交えて話していて、どう考えても、

父が弱っている状態だと話し、

そこで家族みんなで病院に行くことを決意。


私も半休をとって、

病院へ行き話を聞いていたら、

余命、年内 もっても1年と言われてしまい、

このまま入院になり、

泣きながら職場に電話して、午後のお休みも

もらうことに。


ここではじめてこんなに大事だったのだと

気づく。遅いよね…


そして、私が舵を取らないとということにも

気づく。

きっと父もそうだったんだろうな…

私と妹の子育て。母が張り切り頑張るから

任せておきたいけど、任せておいても

安心できない、自分がどうにかしなきゃと

たくさん動いてくれていたんだろうな。


(母からの愛情もたくさん感じているけど、

母は暴走する癖があるのと、

冷静に 客観的に 分析できていないところがある。)


そして、入院して、2週間の予定が3週間に。

点滴をしてもらったり、

リハビリをしたりして、

なんとか回復(と言っても元通りまではいかないけど。)


無事に退院して、たくさん食べてくれて、

とにかくうれしかった。

そして、そこから介護生活がはじまった。

訪問診療や、訪問マッサージも頼るようになり、

(と言っても、結構導入に時間がかかった)

少しずつ形が作られていたけど、

やはり家族間での負担も大きく、

私も逃げ出したくなることもあったし、

妹も全く使い物にならない時もあり、

結構悲惨な状態に。


それでも、頑張りどころだと思って、

頑張っていたけど、

私もダンスやら自分の予定も普通に入れていて

(その間、母や妹がいるから大丈夫と思っていた。)


けれど、3月4日、職場への退職にあたってのお手紙やら

色々と。予定が入っている中で、回ってなくて。

今日は、私、昼のダンスやめようかな〜とか

2階でやることやらなきゃだからこもっているね!

と言って…父もきっと、遠慮してしまったのかなと思う。

ダンスの練習後も、

まっすぐ帰りたくなくて、

やらなきゃいけないことを紙に書き出し、

そんなふうに過ごしていると、

私自分のことなんでこんなにできないんだろう。

1人の時間が欲しいってすごく思っちゃって…


そんな中、妹から電話があり、

母から父の容態がおかしいってきてるんだけど、

どう?って。

これまでも母から来ることがあったから、

私に確認しようと思って…とのことで。


私が急いで帰ると、

父はもう急変していて。

私はそれでも、明日私ダンスの本番なんだよね〜とか言ってしまった。ガキだな


それでも、母が、病院に行くと検査と

入院をさせられちゃうよという話をずっとしていて

(それも事実だし、父のことを思っての発言なんだろうけど。)

父も、父で、そこから不安になり、

病院に入院はしたくない…と言っていて。


とりあえず、訪問医さんを呼ぼうと話して、

訪問医さんに電話をかけると

駆けつけてくれない様子で

(ここの疑問はケアマネさんに確認して解決済み)


それでいよいよ、救急車を呼ぶかどうするか

という問題になり、

結局 呼んで欲しいということで。

呼び、気胸を起こしてしまっている(今度は反対側)なので、管を通させてくださいと。

医師からの説明。

管を通していずれ抜けるのか、という質問にも、

様子を見ないとだけど、

このままだと苦しいだけ。

通させて楽にしてあげたいということで、

お願いしてきた。

このときは1週間ほど入院という話だった。


救急病棟に入院して、

携帯もダメ、テレビもダメ 

騒がしい。

父はとても辛かったみたい。


一般病棟に戻れてから、

体力戻っているのかと思っていたら…

よくなっていなくて。

それが何か、気管支鏡検査をするけど、

わからなくて。

おそらく、肺に他にも穴が空いてしまっているらしいのだけど。


今二つの選択肢に迫られている状態。

気管支鏡をもう一度やるか、

手術をするか、


本人は気管支鏡はもう嫌みたい。苦しくて辛かった様子。

またやって同じように分からなかった場合、

何もできなかった場合を考えると可哀想で。


手術も、その耐えられる体力があるのかな。


Just Answer  というところで

相談したら、

緩和ケアのようなものはないと思うべきだそう。

がんとは違うから。

放置するというのはそれだけ苦しいということ。

何か対応してあげるしかない。

私も以前、読んだ資料に、

救急車を呼んでしまったがゆえに

延命をされてしまい、自宅で看取ることができなかったと

苦しい思いをさせてしまったという反省があり。

それをすごく覚えていて、

こんかいの救急車を呼ぶのを躊躇ったり、

してしまったけど。

がんとは別。肺だからほっといたら

ほっといただけ、苦しい。可哀想なことを

してしまった。

医療の力を頼るしかないし、

このまま両方から逃げることは

苦しめることにつながるんだなぁと。



とりあえず今日仕事をそうたいして、

病院に呼ばれたのでいってきます。


父にとって1番良い選択ができますように。

家族にとっては二の次で良いのです。

それだけ…それだけ願ってます。

楽にしてあげたい。